2006年10月24日 第37回MKCRセミナー

発表者:川口 友子氏
      
武庫川女子大学関西文化研究センター博士研究員
題目:明日香の心象風景と風景づくりへの展望
日時:2006年10月24日(火)17時〜18時30分
会場:武庫川女子大学中央キャンパス
    学術研究交流館1階大会議室(IR-101)
 


発表要約

明日香の心象風景と風景づくりの展望
川口 友子

 1.はじめに

 風景は、人をとりまく地域環境のさまざまな要素から構成され、独自の地域性、歴史性をもつ地域環境資源として時間をかけてつむぎ出されてきた。風景は人の心のなかの風景に影響をあたえ、また人は風景の形成に影響をあたえる。つまり、風景の変化が人の心に働きかけることによって、心のなかの風景も変化していくため、風景と心とは互いに影響を与え合う相互的なものといえる。しかしながら近年、生活様式や社会構造の変化などによって風景は急激に変化している。風景をめぐる議論はさわがしくなり、風景と人の心との相互関係、かかわり方自体も問題視されるようになってきた2004には景観法が制定され、風景に対する規制が可能となっている。しかし、風景に対する評価に規制という力をもちいることは、典型的な「あるべき像」の回答のような風景をつくりだすことにつながってしまわないだろうか。

 奈良県明日香村は、1980年には「明日香村における歴史風土の保存および生活環境の整備等に関する特別措置法」(「明日香法」)が制定されるなど、歴史的景観の維持保全に取り組んでいる。本研究ではこの明日香村を事例地として、明日香の実際のむらづくりを視野に入れつつ、心象風景を「人が対象を認知するときの状況の変化、個人的経験にともなう心的再構成の変化など、さまざまな要因に影響を受け、心のなかに形成される可変的な風景」と定義し、明日香の人々がもつ心象風景はどのような構成で、どのように生成されているのかを明らかにし、風景と人とのかかわり方について考察することを目的とする。

 風景研究は、これまでも多くの分野で幅広くなされてきた。とくに風景と人とのかかわり方については、「原風景」、「心象風景」がキーワードとなる研究がみられる(奥野(1972),勝原(1979),渡部ら(2003)など)。しかしながら、その存在や概念について言及しているものの、実体的な風景の分析にとどまっている。また、複数の人々を総括的にあつかったものが多く、個人レベルからの分析はあまりみられない。文学作品から風景を読む研究では、建築学では張ら(1995)、香西(1996)、地理学では千田ら(1998)の研究などがみられる。しかしながら、文学のなかの風景分析にとどまり、実際の計画に直接むすびつくものではない。

 これらに対し、本研究では、明日香村の「万葉の風景づくり」という実際の計画を視野に入れ、明日香村での風景づくりについて、フィールドワークを通じて詳細な調査をおこない、各取り組みについての分析をしている。また、万葉集という文学作品から心象風景を読み、その結果と現代の人々に対する歌詠み型アンケートという独自の手法による結果との比較考察から、心象風景の構成を明らかにしている。さらには、以上の内容にもとづく総合的視点に立脚し、心象風景という観点から明日香の風景と人とのかかわり方を読み、明日香における風景づくりに向けた課題と方向性について考察するものである。

 2.明日香の風景づくりと風景のとらえ方

 古都保存に関する一般法は「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」、通称「古都保存法」があり、そのなかでも明日香村は特例として「明日香法」が定められている。この明日香法にもとづき、村では「明日香村整備基金」を設け、大字管理組合への支援、農道整備など、生活に密着した事業をおこない、また、総合計画を策定している。総合計画のなかでは、むらづくりの基本構想として3つのテーマを示し、そのうえで、従来の歴史的風土の凍結的保存から、明日香法の趣旨に即しつつ、修景、維持活用に向けた事業の積極的な実施が必要だと記している。しかしながら具体的な施策としては、道路や河川、農業用地等の整備事業が多く、テーマ、施策の大綱に「万葉」というキーワードを多くもちいているものの、「万葉の風景」像がまだ曖昧であり、万葉集や万葉の時代の風景に明確にむすびつけることもできないままに、施工が進められている状況にあるといえる。

 村では、民間によっても地域づくり活動が取り組まれ、とくに風景にかかわる活動をおこなっている団体としては、5つの団体があげられた。そこで、これらの団体に対して聴き取り調査、参与観察をおこない、各団体の活動の概要を表にまとめ、さらに風景のとらえ方について考察したところ、各活動団体による風景のとらえ方として、「稲渕における棚田がある昔の農村風景」、「栢森における昭和初期の里山と飛鳥川の風景」、「岡における江戸時代の歴史的な街並みの風景」というつの風景が指摘できた。各活動での風景のとらえ方は、いずれも現在ではない時代の風景を再現、創造しようとしている。しかしながら、目指す時代が明確である活動と、漠然としている活動とがある。また、村の総合計画の大綱では「万葉の風景」がキーワードであり、これを歴史の時間軸でみたときに、多様な時代の明日香の風景をどう村全体の風景として調和していくのかが課題だといえる。

 さらに、各活動団体の活動内容と風景のとらえ方を場所の関係性から考察したところ、4団体が村南部の飛鳥川源流域に近い地域で活動し、他の4団体が一箇所の大字だけを活動場所としている。そのため各活動の場所には偏りがみられ、明日香を全体的にとらえた活動はほとんどみられない。また、各場所での風景のとらえ方が各活動によって違うため、明日香のなかでも場所によって目指されている風景が異なっているという状況である。

 以上の考察から、今後は、各団体でさまざまに継続されてきた活動を、明日香村全体のなかで総合的に調整していくことが求められる。場所によって異なる風景のとらえ方を生かし、一方で明日香村全体の風景としてどう創造していくのか。さらに、偏りがみられる飛鳥川源流域だけでなく、村全体にわたる風景づくりに発展させていくことが必要である。

 3.万葉集から読む明日香の心象風景

 明日香村の「万葉の風景づくり」の方向性を探るためには、万葉の時代の風景の構造を把握することが求められる。そこで本研究では、万葉の時代の風景と人との関係をみられるのは唯一「万葉集」だと考え、「万葉集」から万葉の時代の心象風景を読み、その構成について考察した。

 まず、万葉集全4,516首を分析し、明日香について詠んだ歌を口語訳、注釈にもとづいて取り上げたところ、97首が上げられた。つぎに各歌の「背景」と「心象風景構成要素」を口語訳、注釈などにもとづいて考察し、抽出した。結果、歌の背景として歌に詠まれた場所は、明日香川(飛鳥川)、旧都明日香が多く、歌を詠んだ気持ちは亡き人を偲ぶ気持ち、恋人を思う気持ちなどが多かった。歌を詠んだ気持ちとして多かった、亡き人を偲ぶ歌と恋人を思う歌に対し、心象風景構成要素を分析したところ、亡き人を偲ぶ歌の構成要素としては島の宮、真弓の丘、明日香川、朝、風、鳥、玉藻、紅葉が、恋人を思う歌では明日香川、秋、馬、玉藻や紅葉がみられた。これらの要素どうしの関係性を97首全体からみると、つながりの多いものとして、明日香川と玉藻とが登場する歌が5首、明日香川と秋とが5首、明日香川と紅葉とが4首、島の宮と鳥とが3首、島の宮と真弓の岡とが3首、真弓の岡と朝とが3首あった。

 また、歌を詠んだ場所、歌に詠まれた場所、心象風景構成要素の場所の関係性を考察したところ、いずれの場所も明日香川周辺に多く、明日香の「万葉の風景」をつくる空間要素として明日香川に再度注目する必要があるということが指摘できた。

 4.歌詠み型アンケートから読む現代の明日香の心象風景

 つぎに、現代の心象風景を万葉の時代と比較するために、歌を詠むつもりになって回答していく歌詠み型アンケートを開発し、その結果を現代の明日香の人々の心象風景として分析した。歌詠み型アンケートとは、歌を詠むつもりになって明日香の風景を思い浮かべながら回答していくうちに、風景が明確になっていくというものである。調査期間は200111月27日から12月21日とし、明日香村文化協会の会員とその家族を対象におこなった。配布450部のうち有効回答は174(38.7%)であった。

 アンケート結果の分析から、現代の心象風景構成要素としては、秋の夕方や春の朝といった季節、時間帯にみられる、山と季節の植物、農地、川が多くあげられた。歌に詠みたい場所は、石舞台地区(26人)、甘樫丘地区(19)、稲淵の棚田(14人)が多くあげられた。

 構成要素どうしの関係性をみると、飛鳥川を中心とした甘樫丘と石舞台、石舞台周辺の桜、甘樫丘からみえる畝傍山と二上山、飛鳥川源流に近い東南地域に広がる棚田と飛鳥川と石舞台、棚田からみえる二上山などの山というつながりから構成される風景が指摘できた。また場所の関係性をみると、上流域から下流域の広範囲にわたっているものの、各ポイントにおいて局地的に心象風景が構成されているということが明らかになった。さらに、万葉集からの分析でも重要性を指摘された飛鳥川に注目すると、飛鳥川のある場所としては飛鳥川源流地域が、構成要素としても源流に近い地域にある石橋(飛び石)、綱かけ、小さな滝などがあげられた。

 以上の構成要素からなる心象風景は、最終的に完成できた34首の歌にもみることができた。典型的な例をあげると、ある19歳の女性は、季節に春、時間帯に14時、心象風景構成要素として石舞台の桜を選び、石舞台地区のことを詠んでいる。

木もれ日の 光のどけき 春の日に 桜花の香 心やすらぐ

 このように、アンケートの形式に従って回答することで、心に思い浮かべた明日香の風景が歌として表意され、構成要素がむすびついている状態を作り出していることがわかる。すなわち、歌詠み型アンケートで抽出された明日香の風景はそれぞれの心象風景に由来し、このアンケートによって心象風景を明らかにできたといえよう。

 5.心象風景からみた明日香の風景づくりの課題

 万葉の時代と現代の心象風景の比較考察をおこない、万葉の時代と現代という歴史のなかの二つの時代からみた、明日香の心象風景の構成について分析した。

 心象風景の舞台となる「場所」に注目したところ、それぞれの場所は飛鳥川流域に集中し、両時代において飛鳥川が重要な要素になっていた。さらにそれぞれの時代についてみると、万葉の時代では中流域から下流域に位置する場所が多く、現代では中流域を中心として、下流域から上流域まで流域全体に広がっていた。また、万葉の時代と現代に共通してみられた心象風景、万葉の時代のみにみられた心象風景、現代のみにみられた心象風景を比較したところ、万葉の時代では多様な心象風景がみられ、現代では心象風景の場所は広範囲にみられるが、それぞれの場所において心象風景はおもに局地的に構成されていることが指摘できた。

 以上の分析から、万葉の時代と現代との明日香の心象風景には、心象風景の構成におけるずれと、心象風景の構成と場所との関係性におけるずれという、二重のずれがあることが明らかになった。今後は、二重のずれがもととなってさまざまに生成される明日香の心象風景のなかから、人々が共有できる心象風景を多様な明日香の風景から見出し、それにもとづいた風景づくりをおこなっていくことが今後の風景づくりの課題であると指摘した。

 6.おわりに

 本研究では、明日香村の風景作りに向けて、万葉集という文学から心象風景を読んだ結果と、歌詠み型アンケートという独自の手法による調査結果との比較考察から、心象風景の構成を明らかにした。そのうえで、今後の風景づくりの課題を考察した。本研究は総合的視点に立脚したものであり、この成果が新たな風景づくりの手法の開発につながることを期待したいと考えている。


 <参考文献>

  • 奥野健男(1972):『文学における原風景』,集英社.
  • 勝原文雄(1979):『農の美学』,論創者.
  • 建部謙治 松本直司 花井雅充(2003):「生活空間における心象風景と地区特性との関連性−子どもの心象風景に関する研究 その1−」,日本建築学会計画系論文集No.565,pp.217~223.
  • 香西克彦(1996):「大和三山の風景『藤原宮御井歌』にみる風景の構造」,日本建築学会計画系論文集No.480,pp.195~120.
  • 張奕文 中川景子 若山滋(1995):「『万葉集』に現れる建築と環境の関係に関する研究」,日本建築学会計画系論文集No.471,pp.93~98.
  • 千田稔(1998):「『万葉集』の山」,『風景の文化誌T―都市・田舎・文学―』,古今書院.



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