●2005年10月25日 第22回MKCRセミナー

発表者:久下 正史氏
      
武庫川女子大学関西文化研究センター博士研究員
題目:縁起と高僧伝-性空上人蘇生譚を中心として-

日時:2005年10月25日(木)17時~18時30分
会場:武庫川女子大学学術研究交流館 会議室
 
発表要約
縁起と高僧伝-性空蘇生譚をめぐって-(要旨)
久下 正史

はじめに

 性空は、平安中期の法華持経者としてよく知られているところである。性空にまつわる伝承も、往生伝や説話集に収載されるものから、在地の伝承まで多くの伝承をみることができる。

 性空の伝承として、霧島・背振山での修行、六根清浄の聖としての奇瑞譚、和泉式部の結縁譚、生身の普賢菩薩の感見譚などが知られるところである。また、室町物語では、『硯破』として性空の発心譚がある。近世になると、善光寺縁起に性空の渡唐譚がみられ、血盆経の縁起や、秩父三十四所開創縁起に性空の蘇生譚がみられる。

 性空は京の人であり、九州で修行し、播磨で書写山円教寺をひらいてそこで示寂した。このような経歴からもわかるように、性空の伝承の分布は基本的に西国を中心としたものである。このなかで、善光寺縁起と秩父三十四所開創縁起は東国に分布しており、その中でも秩父三十四所開創縁起は、同様の伝承が近畿地方と関東地方に分布しているという特徴を持っている。また、このような寺院縁起のなかにみられる伝承は、独自の展開をみせており、こういった伝承を検討していくことによって、伝承の形成の一面を明らかにすることができよう。

 本発表では、このような特徴的な分布を示す秩父三十四所開創縁起について、近畿の事例を検討するなかで、その伝承の位置づけをおこないたい。

1 秩父三十四所開創縁起

 秩父三十四所開創縁起の中で、もっとも古いとされている資料は、秩父三十四番札所法性寺に蔵されている札所番付、一般に「長享番付」と呼びならわされている資料である。この「長享番付」は、長享二(一四八八)写とされる資料であり、秩父札所を一番から書き上げたのち、ごく短い秩父札所の開創縁起が述べられている。それによれば、性空上人が、冥途で七日説法し、罪人を救済したので、布施に秩父巡礼・坂東巡礼・西国巡礼のことを教わった。熊野権現など諸神を召して(秩父巡礼を開創した?)、ということが述べられており、行基菩薩が文治三年(一一八七)にこの番付を作成したこととなっている。

 同じく法性寺蔵の行基菩薩作とされる「武州秩父郡御札所之縁起」によると、文暦元年(一二三四)、書写開山性空が、冥途で紺紙金の泥法華経一万部の読誦をおこなった。その布施として、倶生神が性空に石札を与えた。そして、妙見菩薩が導き、熊野権現が合計十三人(十三権者)で順礼をおこなった。これが秩父巡礼の開創とされている。また、この縁起と同一の巻本に表装されている仮名縁起では、性空は冥途で四万部の法華経を読誦したこととされている。

〔図1〕閻魔王の手判

 秩父二十五番札所御手判寺の閻魔王の手判(図1参照)の縁起では、熊野権現をはじめとする十三権者が順礼の時(すなわち、秩父巡礼創始の時)、性空が、閻魔王宮で法華経を十万部読誦し亡者を救済した。その布施として、「石の手判」「石の證文」を得た。手判石は御手判寺へ納められ、證文石は、西国の札所中山寺へおさめられたという。(『新編武蔵風土記稿』、文化七〔一八一〇〕~文政一一〔一八二八〕編)

 以上の縁起は、性空の生没年とあまりにかけはなれた年代のできごととして述べられている場合が多いが、秩父一番四萬部寺の縁起では、十三権者の秩父巡礼開創にふれながら、性空の生没年と矛盾しない縁起が語られている。(「経塚再興碑」宝暦六〔一七五六〕、「武州秩父札所第一番目法華山四萬部寺大施餓鬼因縁記」伝・享禄四〔一五三一〕等)

 以上のような秩父札所の開創縁起は、以下のようにまとめられるだろう。

(1)性空が、冥途で紺紙金泥の法華経読誦をおこなう
   但し、巻数は、一万部・四万部・十万部

(2)法華読誦の功徳により亡者を救済する

(3)布施に、石札・手判石・証文石、あるいは、百所の巡礼の事などを得る

(4)甲午年、性空を含む十三権者が秩父巡礼を開創する
 但し、「長享番付」では、七日説法であり、四萬部寺では、性空の伝記と矛盾しない縁起が語られている等、異伝もある。

2 近畿の関連伝承

〔図2〕円融寺蔵 性空が閻魔王から与えられた法華経

 前節において、秩父開創縁起にみられる性空蘇生譚を概観したが、これとほぼ同様の伝承が、兵庫県たつの市円融寺にみられる。円融寺の寺宝である紺紙金泥法華経の縁起であるが、それによると、性空が、法華経十万部読誦法会の導師として閻魔王宮に招かれ、布施として、閻魔王から衆生済度のために、紺紙金泥の法華経を与えられる、といった内容である。紺紙金泥の法華経と、御手判石の違いはあるが、秩父二十五番札所御手判寺の縁起と同様の話柄である。

 円融寺縁起は、貞享三年(一六八六)の成立であり、当寺の中興は、慶長四年(一五九九)没の法印祐範である。それ以前の資料には性空将来の紺紙金泥の法華経についての記述はない。

 さて、円融寺にみられるような近畿における性空蘇生譚に関する伝承をまとめると、以下のように分類することができる。

(1)性空蘇生譚
  円融寺 兵庫県御津町
  木之本地蔵 滋賀県木之本町

(2)性空と尊恵の蘇生譚
  常住寺 三重県伊賀市
  常光寺 大阪府八尾市


(3)尊恵蘇生譚に性空が関与する伝承
  血盆経将来伝承

(4)尊恵蘇生譚
  温泉寺 兵庫県神戸市 等

以下、これらの概略を確認しておきたい。

2-1 性空蘇生譚

 近畿における性空蘇生譚は、先に見た貞享三年(一六八六)成立の円融寺縁起と、貞享元年(一六八四)刊の『地蔵菩薩霊験記』巻四「江州木之本地蔵霊験」にみえる。木之本地蔵では、天正四年(一五七六)のこととして、性空が閻魔王のもとから将来した錫杖というものの存在がある。

2-2 性空と尊恵の蘇生譚

 貞享四(一六八七)成立の伊賀国の地誌『伊水温故』所収の常住寺縁起には、承安二年(一一七二)、尊恵と性空が閻魔王宮大極殿で法華十万部読誦の導師として法会をおこない、尊恵が常住寺本尊である閻魔王像と八部の法華経を得たという伝承がみられる。

 なお、常住寺は、寛文初年(一六六〇年代前半)、本寺である比叡山松寿院を介して江戸開帳をおこなっている。

 天明八(一七八八)以前成立の常住寺蔵『万人講縁起』では、長保二年(一〇〇〇)、尊恵と性空が、閻魔王宮大極殿で法華十万部転読をおこない、万人講の縁起・法華経三部をこの世に将来したという伝承がみえる。

2-3 尊恵蘇生譚に性空が関与する伝承

 天明八(一七八八)年成立の『血盆経略縁起』では、承安二年、性空により尊恵が閻魔王のもとに召し寄せられ、布施に血盆経と閻魔王自作像を得たとある。また、これに続いて、八尾地蔵房の「十万人講」に言及している。これは、2-2で示した、八尾の常信寺蔵『万人講縁起』にみられる伝承であり、血盆経将来譚と『万人講縁起』との密接な関連がうかがえる。

 正徳三刊(一七一三)刊の『血盆経和解』には、尊恵が閻魔王宮で法華十万部読誦の導師になり、布施に閻魔王から血盆経を与えられた事が述べられているが、注記に、尊恵は性空と同時代の人であると記されており、尊恵と性空が一対のものとして認識されていたことを知ることができる。

2-4 尊恵蘇生譚

 さて、以上見てきたなかで、性空の蘇生譚は、尊恵という人物の蘇生譚と関わりが深いことを見て取ることができる。

 尊恵は、平安末期の著名な蘇生者であり、『平家物語』諸本に、平清盛が慈恵大師の再誕であることを告げた人物としてみえている。この『平家物語』諸本の伝承の出典とされるのが『冥途蘇生記』である。

 尊恵の伝承を『古今著聞集』によって確認すると、尊恵は、もと叡山の学呂で、清澄寺に遁世する持経者であった。承安二年(一一七二)、閻魔王宮法華十万部転読の法会に参加し、平清盛が慈恵僧正の再誕であると告げられ、閻魔王から清盛を賛嘆する偈を得て蘇生した。その後、往生したという。

 この伝承は、室町期以降、尊恵が閻魔王より法華経を得てこの世に将来したという伝承として展開を見せている。この展開については拙稿で明らかにしたところであるが、概略を確認しておきたい。

 有馬温泉寺では、温泉寺如法堂の縁起として、尊恵が閻魔王宮の法会のために奉納した法華経についての伝承が成立していた。ところが、享禄二年(一五二九)、温泉寺の火災からの復興勧進のために作成された縁起には、温泉寺宝塔の地下から尊恵が将来したという閻魔王書写の金紙金字の法華経と両界曼荼羅が発掘された、という伝承がみえている。この温泉寺の復興勧進のなかで、如法堂縁起としての尊恵の伝承は、閻魔王書写の法華経と、それへの結縁をすすめる伝承へと転換を遂げたのである。

 やがて、この伝承は、一五七〇年代以降、周辺の蓮華寺・青林寺・近江寺などへ伝播していくことになる。他方で、近世の温泉寺においては、『冥途蘇生記』の形式をとって、尊恵による果生と呼ばれる往生の契券・女人往生のための『仏説転女成仏経』・閻魔王手書の法華経という三点の将来品がこの土にもたらされたこととなっている。その中でも、往生の契券とされる果生を中心としたあまねく衆生を済度する論理に基づいた縁起へと変貌を遂げるのである。

3 近畿の関連伝承の位置づけ

 性空蘇生譚から尊恵蘇生譚にいたる伝承すべてに共通する要素として、性空、尊恵、あるいはその両者が十万部法華経法会に参加していることである。そして、血盆経の伝承を除けば、多くは法華経をこの世に将来していることが理解できる。

 また、血盆経の将来縁起は、先に見たように、「万人講縁起」と密接な関連を見て取ることができるが、それと同時に、近世の温泉寺縁起では、女人救済経典の将来が述べられており、尊恵の伝承の展開とも密接に結びついた伝承である事が理解できる。

 すなわち、有馬温泉寺において、16世紀前半に成立した、尊恵が閻魔王宮の十万部法華経法会に参加し、布施に経典を与えられ、この土に将来した、という伝承が、まず、周辺地域へ伝播する。そして、温泉寺における尊恵将来経の伝承の展開の影響を受けて、常住寺や、血盆経の伝承が形成されることが理解される。また、尊恵蘇生譚と共通の要素を持っていることから、尊恵蘇生譚の影響を受けて、円融寺の性空蘇生譚が形成されたとみられよう。

 これらの伝承の成立時期であるが、尊恵と性空にかかわる伝承や性空蘇生譚などは、資料上では、いずれも貞享年間(一六八四~一六八八)に見いだされていることから、17世紀後半にはいずれの類型の伝承も形成されていたことがうかがえる。また、常住寺は、寛文初年(一六六〇年代前半)に江戸開帳をおこなっていることから、この時期に同寺の縁起が整備されたことが推測される。性空蘇生譚は、尊恵蘇生譚の影響をうけて、17世紀半ばごろには成立していたことが推定できよう。

4 秩父三十四所開創縁起と近畿の伝承

 3節において、近畿の性空蘇生譚は、尊恵蘇生譚の展開のなかに位置づけられる伝承であり、それは17世紀半ばごろには成立していたことが推定されることをみた。それでは、秩父三十四所開創縁起と近畿の性空蘇生譚の関係はどのようにとらえることができるだろうか。

 これまでの研究では、秩父三十四所開創縁起は、西国三十三所開創縁起の影響を受けて形成されたとされている。しかし、「長享番付」とほぼ同時期から資料上にあらわれる西国三十三所開創縁起では、徳道上人が閻魔王から教わった観音巡礼を、花山法皇と仏眼上人が復興するというのが主であり、性空は重要な扱いがされていない。同時期の西国三十三所開創縁起を見る限り、「長享番付」で性空がクローズアップされることを理解するのは難しい。

 秩父三十四所開創縁起をみると、基本的には、性空上人が、閻魔王宮で何万部かの法華経の法会に参加し、布施に巡礼のことを教わる、というものである。話柄からみれば、3節で確認した尊恵蘇生譚から展開した性空上人蘇生譚の中に位置づけることができよう。特に、秩父二十五番御手判寺の縁起では、性空は冥途で十万部法華経読誦の供養をおこなったと述べられており、顕著な類似を示している。

 すなわち、秩父三十四所開創縁起にみえる性空蘇生譚は、近畿地方における17世紀の性空蘇生譚の展開、より大きくは、尊恵蘇生譚のなかに位置づけられるべき伝承であり、その成立も自ずから下げざるをえないであろう。17世紀の秩父は、三十四所として札所が整備される時期であり、この時期に近畿地方から性空上人の蘇生譚をとりこむかたちで秩父三十四所開創縁起が形成されたとみるべきであろう。

おわりに

 以上、近畿の性空上人蘇生譚のなかに、秩父三十四所開創縁起を位置づけた。民衆レベルでの近畿から東国への文化の伝播が明らかとなったと思われる。

 しかし、性空と尊恵が結合する要因や、近世にみられる西国三十三所開創縁起との関係、近畿から秩父への伝播の要因等、明らかにすべきことは多い。秩父への伝播に関しては、曹洞宗系の唱導僧などの活動が考えられるが、今後の検討課題としたいと思う。

参考文献

秩父札所の今昔刊行会編『秩父札所の今昔』(秩父札所の今昔刊行会、1968)
河野善太郎『秩父三十四札所考』(埼玉新聞社、1984)
埼玉県立歴史資料館編『歴史の道調査報告書第十五集 秩父巡礼道』(埼玉県教育委員会、1992)
白木利幸「『長享番付』当時の秩父観音巡礼」『密教学研究』(日本密教学会、1998)
拙稿「尊恵将来経伝承の形成―有馬における『冥途蘇生記』―」『宗教民俗研究』10(日本宗教民俗学研究会、2000)
錦仁『東北の地獄絵―死と再生―』(三弥井書店、2003)
拙稿「尊恵将来経伝承の展開―縁起の変容と伝播を中心に―」御影史学研究会編『民俗宗教の生成と変容』(岩田書院、2004)
拙稿「近世における尊恵将来経伝承の展開と『冥途蘇生記』」『説話・伝承学』13(説話・伝承学会、2005)




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