●2005年5月26日 第15回MKCRセミナー

発表者:萩原 義雄 氏
      
駒沢短期大学東洋文化研究所教授
       サブ・プロジェクトb2分担者
題目:イタリアにおける関西文化―江戸徃來資料を例に―
    地図・図絵・傳記・脩身百科類書など

日時:2005年5月26日(木)17時~18時30分
会場:武庫川女子大学学術研究交流館 会議室
 
発表要約
イタリアにおける関西文化―江戸徃來資料を例に―
    地図・図絵・傳記・脩身百科類書など
萩原 義雄

はじめに

 2004年度年度イタリア国ローマ法王立サレジアナ大学ドン・ボスコ図書館マリオ・マレガ文庫調査資料を基に関西文化学術Bグループセミナー発表報告として本日のテーマに従いお伝えします。

 世界地図は最古のアフリカが記載された長崎県島原本光寺所蔵の蒙古地図です。中央はご存知フランシスコ・シャビエルの図像、そしてマレガ文庫所蔵和本の一葉となります。この三つが結ぶ世界が今日お話しする骨格、骨組みであります。それに血・肉を付加すると云うことで、江戸徃來資料が登場するということになるのですが…… 。血・肉の数が多岐にわたり、絞り込めず終わるやもしれません。その節は、ご容赦願います。では始めていきましょう!

 今般の調査報告の内容は、次の5つに尽きるということになりました。1に、新発見の文献資料はなかったこと。2に、マレガ文庫所蔵の資料価値とその評価について。3に、新展開が臨める事象。4に、今後の文庫資料は日本学研究者によってどう扱われるのか?5に、これら文庫資料が西洋と東洋を結ぶ文化の架け橋となることを願い継続し、研究視野の広がりへと私自身努力していきたいことをこの場を借りて報告するものであります。

 「サレジオ大学マリオ・マレガ文庫所蔵日本書籍目録」2002年11月(国文学研究資料館文
※目録の書籍番号を以て示した
319 220 104 262 200
363 320 326 354 612
88 109 361 441 780
365 336 59 34 418
430 420 335 269 364
94※ 135 477 288 R28
R29 251 344 350  
献資料部『調査研究報告』第23号、ロバート キャンベル&山下則子責任編集)を元に現地文庫所蔵書籍内容調査を 2004年4月12日から2005年3月30日まで実施してきました。この文庫所蔵の約2000点に及ぶ文献資料の実態とその内容概況を伝えることにしましょう。マレガ文庫の目録は、①近世期②明治期③大正期④昭和期の4区分され、各々を50音順に排列しております。日本人には解りやすいと思われるのですが、実際の書庫収納方法は書庫番号順であって連関した文献資料を見ていく上ではあまり役立たないという代物となっていました。こうした資料の扱いで、尤も命取り(不明状況を生み出す) となるのが誤記であったり、読み違えであったりします。人が作業するのでありますからして、当然数カ所のミスがあるのは仕方がないことでしょう。ですが、この私の再調査でそれは複数に上り、このままでは実際の使用にほど遠い世界にあることを確認せねばなりませんでした。
百聞は一見に如ず」その1
MM193 『曹大家女誡圖會』一冊。文政十一(1828)年戌子春正月發兌。浪華書肆、松庇閣主人誌。マレガ師書込「Poesie ONO KOMACI」「EPISODI della Poetessa ONO KOMACI 」

 此のマレガ文庫所蔵の書物は、今のところ他に所蔵の公開を見ない書籍であります。実際に現存する諸本は、慶大・大阪女子大・芸大・國學院高校、小泉吉永(徃來物倶楽部)氏個人所蔵の5点と、これに今般紹介するマレガ文庫2点を加えて計7点が確認されています。上記左上に示す小泉吉永氏の写真図絵の摺り版は、後の四卷から成る合冊本である『女四書藝文圖會』風の巻「曽大家女誡圖會」の写真で、「小野小町来由一代記」が付載されていない別仕立ての書籍であることが判明しています。此の書については、マレガ文庫にも所蔵しているMM167 『女四書藝文圖會』風「曽大家女誡圖會」(一冊・無刊記本)という書物と共通する書籍であることが確認できました。ですが、これも見開きに図絵と内題のない資料で些か異なっています。さらに、MM193とMM167の両書は、刊行年が近い時期にあって、「序文」記載内容と当文庫本資料の記載内容とがすべて同じであることが知られます。そして、MM193には、「浪華書肆」(現在の大阪)にて刊行されていることが知られ、上方の書肆から江戸へという出板流通経路が考えられましょう。所謂、書肆の流通文化史の資料としても注目されてきます。その上で注目したい事柄としましては、この見返しに「松庇閣主人」が記述するところの「進物土産もの等ハ此本に勝物なし」といった当時の書物が「進物」や「土産」となっていたという、ひとつの文字資料による基本的な教養生活文化を茲に伝えていることが指摘できましょう。

    曹大家女誡圖會(そうたいかじよかいづゑ)全

女誡七章ハ漢曹大家といへる世に稀なる賢き婦人の作れる文にて親に孝養をつくし夫に貞操を守り婦人生涯の身の行ひハ此章に洩るといふことなし。将男子とても上を敬ひ下を憐べき教の道をあらはし唐土の繪圖にてハさとり難けれバ御國の圖をもて女子童蒙のわかりよく面白く章毎に画をまじへぬれば進物圡土産もの等ハ此本に勝物なし

浪華書肆     松庇閣主人誌

  序

此女誡七章ハ漢の曹大家の作れる書なり。人の子の中に男子ハ師をとり学文をつとめさして古へ今のことハりをしらせ身をおさむる道をならハしむるもあれど女子にいたりてハ教人まれなり。女子ハいく程もなくて他の家にとつぎ夫にしたがひ舅姑につかふまつるべき物なれば親のかたにとゞまりおること暫らくの間なり。かねて嫁たる道ををしへ侍らずバ夫の心にそむき一門のはぢをなさんこといかばかり物うからん事ならずや。されば曹大家このことハりをおもんばかりたまひて此書をあらハしわが御むすめに與へたまへり。人の親たる人ハこと貼く曹大家の志をたつとひ此書をうつし女子にさづけ教ならハしめはべるべき事ならずや。〔一オ〕

百聞は一見に如ず」その2
MM142 B 架蔵本 C 小泉氏公開本

 MM142 『本朝千字文』一冊。題簽は欠、本文二十一丁。本文漢字三行上下各四字ずつ二段に排列し、傍訓注文を施したものです。貝原益軒先生(1630~1714) 遺稿という書籍です。これを見てすぐにどなたもお気づきのことでしょう。挿絵は雪舟が足でネズミを描いた故事を描写したところです。マレガ師も足の爪で描くことを頭注部にメモ書きしております。挿絵の右側文書内容の部分ですが、上部マレガ文庫と下部二種類の写真ページにあって、この三諸本の文書内容部分が異なっていることをご理解いただけたかと存じます。上は識番197から202 、下右部の識番は185から190の箇所、そして下左部は識番161から166の箇所になっています。こうした挿絵塲所の異同は、同名書籍でありましても個々の資料を見てみないと明らかにできないことをこのように間近に教えてくれています。これは大阪と江戸の板元によって、その取り扱い方法が結構束縛されたものではなく、意外と自由に印刷出板されていたことを物語ってくれております。この点から見ても、まさしく、よく中味を確かめて詳細なる文献資料調査の必要性を感じています。なぜ、こうした資料が生まれたのか?そして、これを手にした読者個人はいかがなものだったのか?多くのことを考えさせてくれるものです。

 次にこうした資料がどういった機関に所蔵されているかを速やかに確認する手段を会得しておくことも重要なことかと思いますので、今回私が情報を取得したその方法と足跡を述べてみたいと思います。

二、資料の価値そして評価
   ―海外から同じ文献資料所蔵の確認を―
   ―旧所蔵者の心意気は継承者へ―

 では、文献資料の価値とは、これまでどう判断してきたのか?その評価法はどのように公開されてきたのでしょうか?私が出会ったマレガ文庫はこの課題を真っ向から伝えていました。マレガ師の蒐集した日本文献資料は貴重書と認定するには程遠いものでした。この文庫を最初に目にした邦人の司祭はこれという関心を示さなかったと聞きました。また、文庫を調査した国文学研究資料館の調査団も、目録を制作するに国家的文化予算と研究期間からして綿密な最終確認調査を成し得ずじまいであったことを教えてくれています。そうしたなかで、個人研究という立場で立ち向かえ、且つこの武庫川女子大学の関西文化研究センターという後押しをもらうことで、その全貌を明らかにさせていただくことになってきています。彼の地イタリアローマ法王立サレジオ大学ドンボスコ図書館マリオマレガ文庫が所蔵する資料を再認識する塲が今ここにあります。その資料の現日本所蔵実態とこれとは逆にマレガ師が取得し、イタリアに渡っている資料の旧蔵者たちがどのような智識あふれる邦人であったかをここで見届けたいのです。

 イタリアにあって、インターネット接続による検索は實に助かりました。日本からあの『国書摠目録』を一揃え運ばずにすみました。その恩恵に感謝の意をこめてご報告したいと思います。日本の国文学資料館が公開した「国書基本DB」と「古典藉総合目録」の検索機能が助けてくれました。これ以外にもネット検索システムは多くの情報を提示してくれたのです。“ ありがとう!” そして、海外における日本文献資料研究者にとっておおいに朗報となったことを付け加えておきたいのです。ただ、海外所蔵の日本文献資料はまだ置き去りになっています。これを早急にこうしたデータベースに補填していくことを臨みたいということを忘れてはなりません。今後の取り組みのところでも述べたい事柄です。

三、資料の価値そして評価、その1

 まずは、江戸時代に愛読された刊本の『太平記』卷三十・吉野殿と相公羽林と御和睦の事のところを載せています。

 次に、『太平記』卷三十三・新田左兵衛佐義興自害の事の箇所で、大系本では三の267頁⑨の「もよほしあつめ我館(たち)のかたわらにこめ置ける。日暮けれは竹澤いそぎ佐殿に参てこよひは明月の夜にて候へばをそれながらわたくしの茅屋(ばうをく)へ御入り候て。草ふかき庭の月をも御覧候へかし。……」観月の催しにおいて、義興を討とうして果たせない場面の挿絵部分です。いずれも旧所蔵者による彩色の塗り絵が施されています。

旧所蔵者の心意気は継承者へ
朱色の藏書印は伝える

藤本文庫



米子市立
米子図書館



マリオマレガ文庫

 MM126 『大學圖會』五冊。文化五年(1808)刊。沢誼平[服部大方]著,吉田川旭斎[吉田之秀]画には、藤本文庫印(鳥取県東伯郡八橋町(現東伯町)の郷土史家・藤本重郎氏)、他所蔵印二種の上から米子市立米子図書館蔵書印が被せられ藏書番号5545~5549を順次打つ。表紙下に藏書ラベル「1238/2/015」が貼られています。マレガ師は、此書を東京都文京区本郷六丁目の古書店木内書店より購入しています。また、卷一裏見返しに墨書で「矢部潤治朗」の名が記載されています。この書籍が人から人へ歩んだ行程を知る標がこの蔵書印そのものではないでしょうか?明治時代の宮武外骨が教導する蔵書印の有様をまさにまのあたりにした一本でございました。

「書き込み部分」と「挟み込み」

 邦人旧蔵者の書き込みとマレガ師ご自身の書き込みと挟み込みが散見するなかで、私自身が気づいたことをお知らせしましょう。マレガ師はご自分が購入した書籍をものの見事に読み、丹念にメモ記録を残しております。単なる日本文化の書籍蒐集に奔走したのではなく、むしろ日本文化を知りえた一人の研究者としての目線がここには表出しています。マレガ師にとって、時には邦人旧蔵者の書き込みに牽かれてその書籍を購入したのではないかという、彼の蒐集方法の心意気が第一義としても見えてくるのです。

MM029 訓讀繪入『観音經和談抄』全一冊。京二條通寺町西江入丁正□□□□□□□□。

MM258 訓讀繪入『観音經和談抄』全一冊。天和三(1683)年刊。帙入・帙題「観音經和談抄」。題箋欠(舊所蔵者墨記「観音和訓抄」)裏表紙に舊所蔵者:村上源氏赤松則村裔/矢島朋之進源敏平明。見返しに「権已亭桃僊藏書」上・中。下各目録を有す。
※マレガ師の上記本についての書き込みと講演のチラシ紙

 此の一枚の紙片から、講演の年・日時・塲所などは、精確に把握することはできていませんが、マレガ師自身、日本国滞在中の四十五年間のなかでこうした講演を実施していたことが明らかとなりました。そのうえで、日本の神話譚『古事記』と西洋の『聖書』(旧約聖書)のなかの神話譚を常に対峙させて現代の人々にその精髄を語り続けようとしていたことをここに類推し、その検証の裏付けを試みたいものであります。

※他にマレガ師は、下記内容のご発表をなさっております。

 「東方学会」での口頭発表
 早速、「東方学会」に問合せ、事務局の河口英雄氏から下記のご返答をいただきました。
「Marega, Don Mario」氏の国際東方学者会議で第7回(1962)、8回(1963)、13回(1968)、16回(1971)の計4回という発表については、はじめて確認した情報です。このことは、意外に こちらの関係者にあっても周知されてない情報です。
 いずれもTransactions of the International Conference of Orientalists in Japan にサマリーが収載されております。
 タイトルは下記のとおりです。

第7回: Pre-Xavevrian Christians in Japan
第8回:The Kirishitan yashiki
第13回:The oldest buddhist ceremonies in Japan : The shuni'e ceremonies
第16回:The Nakatomi harae and the remben at the Todai-ji temple

 ここで、新たに発見できた資料というものが、こうした書物の内容と密接に結びつくメモ書き込みであり、その紙片はまた、当時のマレガ師ご自身がもっとも身近な研究生活の現況を伝えている内容そのものであったのです。

 マレガ文庫は、これまで眺めていただきました資料の中味からも、再度日本文化強いては日本の関西文化の研究を推進し、検討していくうえで好材料にあることをお伝えしておきたいのです。その見地から、更なるイタリア国内における日本文化への関心事と彼らが持ち運んだ未知なる日本文献資料がまだまだ山のようにこの国には潜んでいることをお伝えする必要もございます。

雛屋立圃、書名は『伊曾保物語繪卷』三卷

 とりわけ、江戸末期から明治にかけての日本文化資料への関心は高いものでありました。このような折りに、イタリアの絹(養蚕)産業に大打撃となる事件が起こりました。日本の蚕を得ることで、今日も絹織物が栄えていることを彼らはその経緯を伝え記録しています。この時に日本を訪問したイタリア人のなかに、日本の貴重な資料に目をつけたのでしょう。その一つにまだ知り得ぬことですが、宣教師ハビアン翻譯の天草版『エソポの物語』の真名と仮名で表記した国字本『伊曽保物語』が生まれる過程の中間に位置する文献資料が明治43年まで日本にあったのです。これがこの時を境目に忽然と日本国から消えています。その経緯は、旧主伊達伯爵家のご家蔵本、元和版を拝領していた大槻如電が伝えています。この書の著者の名前は、雛屋立圃、書名は『伊曾保物語繪卷』三卷でした。この書物の行方が知りたいところでもありましたが、その探索もまだまだ雲霧のなかでございます。ですが、近い将来にお披露めができるよう、彼地の有識者の協力を得て努めていきたいものです。

※参考資料大正8年(1919)○仮名草子の挿絵と雛屋立圃 水谷不倒「錦絵・30 9月」

 明治初期における日本とイタリアに関する研究

  1. サッリエー・ド・ラ・トゥール伯爵夫人の日本紀行1867 ~
  2. ジャコモ・ボーヴェの未刊行日記について1872~74年に書かれた。
  3. 明治の日本イタリアの二貴族の印象記
    アウグスト・トロロニア公爵(1891年訪日)
  4. 日本に於けるブレシャ出身のカトリック宣教師の活躍
    オルガンティーノとゾーラ
  5. アレッサンドロ・フェ・ド・オスティアーニ伯爵と日本
    1870年、サッリエー・ド・ラ・トゥール伯爵の後を継いで日本全権大使となった伯爵はまた日本画のコレクター
  6. 失われた種をもとめて
    1800年代後半のイタリア絹織物業者と日本

※ミラノ在住邦人日本語教育講師田中久仁子先生提供

 このローマ、バチカン宮殿のダマーゾの広場は今も変わらぬたたずまいにあります。イタリアの人々、そして世界各国からこの地で学んだ多くの人に交じって修學された邦人の方がいます。そして、今もその修學は続いているのであります。私の研究活動は、こうした多くの方々に支えられてなったものでございます。その支えに感謝し、本日の拙いながらもイタリアでの日本文化の研究報告をとじさせていただきます。本日は寔にありがたうございました。

 最後に、2004年度イタリア在住中に行った私の活動報告の一部を私のHPに掲載しておりますので、ご覧いただけますれば幸いでございます。

参考ページ http://user.komazawa.com/hagi/koma_dengonban.html


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