●2005年2月15日 第12回MKCRセミナー

発表者:西山 明美
       
武庫川女子大学助教授
     徳原 茂実
       
武庫川女子大学教授

題目:元永本『古今和歌集』の雅びの世界

日時:2005年2月15日(火)17時〜18時30分
会場:武庫川女子大学中央キャンパス
    中央館(中央図書館棟)7階708教室(C-708)
 
発表要約
元永本『古今和歌集』の雅びの世界
西山 明美
徳原 茂実
 元永本『古今集』は上・下二帖より成り、上帖の末尾に「元永三年七月二十四日」と、書写年次を示すと推測される日付が、本文と同筆で記されている。元永三年は平安時代後期、西暦一一二〇年にあたる。近年その存在が明らかとなった伝藤原公任筆『古今集』とともに、平安時代に書写されて現代に伝わる『古今集』の完本(書物の全体が現存する本)として貴重である。元永本と同系統の古写本に筋切本と唐紙巻子本があり、この三本はいずれも藤原定実(三蹟の一人である藤原行成の曾孫)によって書写されたものと推測されている。
 元永本『古今集』が、中世以来の流布本の位置にある定家本や、清輔本、俊成本などの主要な伝本とくらべて、きわめて特異な本文を持っていることは、従来から注目されてきた。西下経一氏は『古今集の伝本の研究』(昭和二十九年、明治書院)の中で「元永本の本文の性格は、古今集の草稿としての面影を有する半面、流布の間に形を崩したと思はれる本文が多々ある」とのべている。ところが、その「流布の間に形を崩したと思はれる本文」の存在は、氏があげている事例によって明らかであるが、「草稿としての面影を有する」本文として氏があげている事例が、まさしく草稿段階の本文であるという根拠を、氏は提示できていないようである。
 久曾神昇氏は『古今和歌集成立論・研究編』(昭和三十六年、風間書房)において、『古今集』の諸伝本は、同一の原本から派生したものではなく、撰集の過程において生じたさまざまな形態の本文に由来するものとの画期的な仮説を立て、元永本については、その本文が他の主要な伝本と比べて異質なのは、それが撰集過程の初期段階の本文を反映しているからであると述べている。このように、『古今集』の伝本研究に大きな功績をあげた西下、久曾神両氏は、元永本に撰集初期段階の本文の存在を主張しているのであるが、その根拠は薄弱で、それら全てを後世における本文の改変と考えても何の矛盾もないし、そもそも撰集の初期段階の草稿本文が流出し、流布するなどということは、常識的に考えてありえないのである。
 今回の発表では、元永本の特異な本文は、平安時代中・後期の人々の自在な『古今集』享受から生み出されたという前提のもとに、いくつかの事例について説明し、さらに伝公任筆本、伝行成筆関戸本、高野切、寸松庵色紙、亀山切など、平安時代に書写されて名筆として今に伝わる『古今集』写本においても、元永本と同様の本文の流動性が見て取れることを指摘した。それは一言でいうなら、延喜の『古今集』を、自分たちの好尚にかなった雅びやかな『古今集』に生まれ変わらせようとする試みであったといえよう。西山助教授が説かれた通り、元永本『古今集』の筆跡や料紙は雅びやかな王朝文化の粋ともいうべきものであるが、そこに書かれている本文も、本来の『古今集』を雅びにくずした内容となりおおせているのである。

(徳原 茂実)


 元永本古今集は、全二十巻が完全な形で伝来している。古今集の伝本の中で重要な一本であるが、同時に書芸の上からも最古の古筆として極めて貴重である。ここでは元永本古今集の書芸としての側面を中心に「雅びの世界」を中心に考察していきたい(以下、元永本古今集を元永本と称する)。
 元永本の最大の特徴は、美麗な料紙が用いられていることである。料紙は、中国の「唐紙」(からかみ)の製法を学んで作った和製唐紙に、美しい文様を加工したものである。その文様は型文様が中心である。元永本に使用された文様は、〔図1〕に示した15例である。染紙にこれらの型文様で装飾を施こすのである。型文様とは別に、切箔、砂子、野毛等多彩な趣きのある加工も施されている。
 唐紙と文様の製法は、日本では現代に伝えられている。しかし、発祥の地である中国では、この唐紙は製作されていない。しかも中国には唐紙の伝存するものも少なく、その考証資料となるものもほとんど残っていない。

菱唐草文 小重唐草文 二重複丸唐草文 獅子二重丸文
七宝文 花襷文 孔雀唐草文
花唐草文 芥子唐草文 大波文 重ね唐草文
大花唐草文 大唐子唐草文 獅子唐草文 亀甲文
〔図1〕「元永本古今和歌集」料紙唐紙文様一覧
小松茂美『元永本古今和歌集の研究』(講談社、1980)より

 文様は生活用品、装束、工芸品と表裏一体のものである。その用途に合わせて、彫刻、刺繍、染め、蒔絵等々、多岐にわたって表現されている。このような目本独特の装飾意匠は、耽美趣味を求めた平安朝貴族の趣向を反映したものであった。
 平安時代初期の遣唐使の廃止から、国風文化が盛んになるが、かな文字の発明は書芸の面においても著しい発展をもたらした。渡来した「紙」は素紙とは別に「かなの料紙」、いわゆる装飾料紙として発達したのである。そこに用いられた文様は中国の影響をうけながら、和風化したものである。花鳥風月などの風景や風物を絵画的文様に、あるいは幾何学的構成文様に加工されている。それらは元永本をはじめとして、西本願寺本三十六人集や平家納経などに集大成されている。
 文字を白い紙に書きつけるというだけでも用を足すことができる筈であるが、美しい文様や金銀で装飾された華麗な料紙に巧妙に書写表現する、ということは「かな」のもつ流麗さをより典雅に演出するための装いであった。その意味でこの時代は日本書道史上、仮名書道の黄金時代であったともいえる。
 元永本は念入りな書式や構成を計算した上での書写であった。料紙の濃淡に合わせて文字表現の細微にわたる気づかいがみられる。濃い色の料紙には筆圧を加えて、墨量も多く、線質を太く強く表現している。淡い色の紙には、細い線質で軽快に、リズミカルに運筆している。その息づかいまでも伝わる。墨の潤渇の使い分け、一字の中における線の強弱の変化など、見事に工夫されている。一字一字の造形美も気品に満ちている。現代、和様漢字は“元永本に学べ”といわれているが、それは元永本の持つ高い技術とその芸術性のゆえであろう。
 もともと元永本は上下二冊の各一〇〇枚、計二〇〇枚の冊子本であった。しかし現在の紙数は上巻一九一枚、下巻一九六枚の残存を確認できる。料紙を五枚重ね二つ折りにしたものを一折帖として、上下巻各二十折を重ねて綴じ合わせた大和綴の冊子本である。この冊子形態から考えられることは、これら美しい料紙群への書写は一折帖ごとに直接書きつけていったのであろう。頁の変わり目の墨色の漸減の変化が自然で矛盾がないことからも確かであろう。綿密な計算の上で、一折帖に組む前の状態で一枚一枚に書写した後、冊子形態に綴じるという方法もあるが、その場合には墨継ぎ等に異常さが生じたり、文言の欠落や重複が起こったりしがちである。元永本ではそのような不整合はまったく見当たらない。
 さて、伝統芸術の一つである書道にとって、「古典臨書」は必須の学習方法である。臨書は大きく形臨と意臨の二つに分けられる。
 形臨とは古典を手本として、原本に近似の紙質のものを選び、同じ寸法の紙型に裁断したものを使用する。その上、線の太細や墨の潤渇なども原本そっくりに書くのである。書家、深山龍洞もその著『かな』において

第一段階臨書では、原本どおりそのままに臨書する。絶対無条件完全模倣を信条とする(略)顕微鏡的な観察と行き届いた神経を用意せねばならない。

と説く。
 意臨とは、その意(こころ)を見い出して書くことである。古典からその筆者の精神を理解し、あるいは学習者自身の主観を表現しようとするものである。反復学習をすることにより、また学習者の経験や習熟度などによって、その理解や表現が幾様にも変化していく面白さがある。
 いずれにしても臨書は、基本的な形を把握した上に、字形の配置、連綿法、用字法、配字法、行間の交響、墨法、線質の抑揚、筆致のリズム、漢字と仮名の調和、作品構成などに工夫を凝らし、また帖や巻子ならば、ページの見開き構成や全体構成までに配慮して、細微に心を配りながら行うものである。その臨書に用いる料紙がどのようなものかということは最大の関心事である。現在私たちは書道専門店などで古典を再現した料紙を手に入れることができる。原本に近い料紙になれば高価なもので、私達もそのような貴重な料紙に筆を運ばせる時は言葉にならない緊張を覚える。何も書かれていなくとも美しい装飾料紙はそれだけで感動があり充分観賞に値する。それに筆を加える以上、より美しいものに作り上げねばならない。紙が今よりも何倍も貴重であった時代、平安時代の貴族達は、私たち以上に、書写する歓びと身の引き締まる緊張を覚えたにちがいないのである。
 元永本は単なる手習いのための写本ではなく、すばらしい芸術作品の作成を目指したものであったと考えられる。栄華を誇った貴族達が、古今集に対する理解を芸術的に表現しようとしたもので、自己の芸術的感性を示そうとしたものであったと思う。そのようなより高度な洗練された華やかな「雅び」を表現しようとする美意識は、様々に形をかえながら、現在も伝えられているのである。

(西山 明美)

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