●2004年11月13日 サブ・プロジェクト・セミナー
e1「歴史都市の景観と建築空間構成に見る関西圏の文化的特性」

発表者:増井正哉(奈良女子大学助教授)
題目:祭りのしつらいと町家・町なみ
日時:2004年11月13日(土) 17.30〜19.30
会場:京都学芸出版社3Fホール
(〒600-8216 京都市下京区木津屋橋通西洞院東入)
(作成:天畠、大谷)

■出席者 (敬称略 アイウエオ順)
 加藤邦男(大阪産業大学教授、京都大学名誉教授)
 岡崎甚幸(武庫川女子大学教授、京都大学名誉教授)
 大谷孝彦(設計事務所ゲンプラン、京町家再生研究会)
 天畠秀秋(武庫川女子大学)
 増井正哉(奈良女子大学)
 矢ヶ崎善太郎(京都工芸繊維大学助教授)
 荒木正亘(アラキ工務店)オープン参加
 吉田秀雄(幾央大学)オープン参加
 渡辺宏(畿央大学)
 芝田佳奈(武庫川女子大学)
 平野麻衣子(武庫川女子大学)  
 
 欠席 大場修(京都府立大学)
     佐野春仁(京都建築専門学校)
     中川理(京都工芸繊維大学教授)
     丹羽結花(京都工芸繊維大学助手)
     宗田好史(京都府立大学助教授)    
     室崎益輝(独立行政法人消防研究所理事長)

■議題  (1)増井正哉氏の発表
        題目:祭りのしつらいと町家・町なみ
       (2)増井正哉氏の発表に対する質疑
     
■配付資料
  資料1 「祭りのしつらいと町家・町なみ」すまいろん季刊2000冬号
  資料2 「ハレの日の伝建地区の景色」 2004.7 文化庁月報
  資料3 「町家および街路空間における祭礼時の空間演出に関する調査研究」
           住宅総合研究財団 研究 年報No.25 1988
  資料4 「発つ」奈良女子大学生活環境学部増井研究室 歴史遺産の保存と継承


■増井正哉氏 発表の要点
○祭りの研究
・祭りの研究はむだなのか?
 最近は歴史的環境をいかしたまちづくりとその保全と継承が当たり前になってきた。その中で祭りの研究というのは無駄ではないと気づく。
 例えばキャッスルロードは街づくりの高い評価を得ている。
 景観緑三法によって景観地域の歴史的な環境保全を積極的に行っていこうということになってきており、また田舎の方の町に行っても歴史的環境を生かした町づくりに関する議論が当たり前のように行われている。

○長野県の奈良井宿
  町なみの水準が非常に高く専任のアーキテクトがいる。集計を取った9割以上の所で京風の格子などもともとそこになかった意匠が入ってきている。これが全国の伝建地区の現状のようで伝統的・地域的な意匠がおろそかになってきている。伝建地区ですら独自のスタイルが崩れてきており「和風」=「京風」のようなものが全国的に広がってきている。ずっと振り返ってみると京都風の意匠が全国の町家にものすごく影響を与えており、全国に京都風の町家がある。
地域的特徴をいろんな方法で引っ張りだしてくることが必要なのではないだろうか。
歴史的環境保全が抱えているいろいろな問題点を明らかにしていく必要があるのではないだろうか。

○研究について
  杉本家の保存の際に、祇園祭と何か関係があるのではないかと考えはじめたのがきっかけ。その時はちょうど1980年代後半でバブルの時代だった。やはり町家の場合は祭り抜きには考えられない。

・会所の調査
 会所は町内ごとにひとつあり社会的ポテンシャルの強いところ。
全部のアイテムを図化した。
 →通りの中、つまり町屋のファサードだけで祭りが構成されているのではなくて、建物の内部(屏風飾り、中庭、奥前栽など)と連動して構成されている。こういうものがかなり重要なアイテムなのだろう。
 このように見ると京町家の特徴がよく分かる。ミセの間を有効的に利用している。

○京都の祇園祭は京町家の形態的な特徴を生かす
  奥行き感→敷地形状/つづきの間の特徴/中庭と奥前栽(連続する緑の配置)
  通りとの一体性→建具形状/軒ひさし/幕かけ(一体性を高める境界)
  住人の美意識

 ・京町家の価値    →しつらいの中の機能・役割といったものが欠かすことできない
  京町家の再生・保存 →祭礼時の利用が教えてくれることが多い。

○研究の展開
 祇園祭だけではなくて、他の祭りも調べてみようということになった
 大津祭・日野祭・北陸の城端・青森の下北半島・木曽十一宿・鞍馬・天神祭・岸和田など。
 建物を保存するモメントとまちのしつらいは関係あるということが分かった。

○大津祭
滋賀県大津市
・調査概要
 都市的レベル:演出がどんな風に行われているか(そこに提灯がかかっているか・オープンスペースの活用がどうなっているか)
 建築レベル:町家を全部実測する 
 日常と非日常:一泊二日で祭りの前日「ケ」と祭りの当日「ハレ」を調査する。

・祭礼時
曳山巡行。上にはからくり人形がのっていて踊る。
 一階は宵山、二階は本祭り当日で使われる。曳山を見るため通り側の二階の方立ては外す
ことができる。宵宮の日はしつらい少ないが、本宮の日はほとんどの家が二階から見ていて屏風などのしつらいを行っている。
 大体おもての間やつづきの間を使ったりというパターンがある。
二階の通りに面した所に置き床をつくる。またその部分の天井が高くなるように通りに面した一階の部分はわざと天井を低くしている。奥座敷にも床をつくる。
 二階のおもての間を使ったしつらいが非常に多い。一階はしつらい(見てもらう方の)、二階は見るためという使い方。
 
・特徴
 大津町家の特徴が活かされている。
 祭礼時の二階座敷の利用が町家の形態に影響を与えているのではないだろうか。

○日野祭
 滋賀県蒲生郡
四年前ナチュラルトラストで調査をした。普段はひっそりとした町で近江商人発祥の地でもある。町割りは都市的な短冊型。家は道路からセットバックしていて農家的だが、
塀を建てることにより都市的な空間となっている。
塀はもともと生垣だったが、セキュリティの問題などからある時を境に塀になっていった。
板塀や土塀に「桟敷窓」が設けられており、祭りの時はその窓を開け母屋と窓の間に作られた桟敷から見物する。正式には屋根までつくる。

・祭礼時
 周辺の農家と変わらない家に桟敷窓が設けられており、曳山が来るとその桟敷窓から見る。 
 日野商人は盆・暮れ・祭りの時だけ帰ってきて、祭りの時は近在や遠方の取引先を呼んで来て盛大な祭りをするというのが伝統。

・特徴
 桟敷窓というスタイルが祭りのしつらいというある特定の目的のためにある。
 都市的町割に伝統的農家な農家が建っている。
 都市的な祭礼と農家的なステージの共生。
 人をたくさん招くという都市的な祭りの楽しみ方。
  →この楽しみ方を実現するために塀に桟敷窓を開けるという方法

○祇園祭・大津祭・日野祭の共通点
 ・曳山祭りと両側町の形態
 ・町家の空間的特徴の活用
  通りへの開放性
  つづき間と通り庭/奥行き感

○その他の祭り
・能登半島の七尾(通称:でか山)
 芝居の舞台を曳山の上にのせる。町家的スタイルのところの奥にご神体を置いて遠くから見る。同じようなスタイルは北陸のほうには多い(例えば高岡や新港など)。
・長崎のくんち/庭見せ
・島根/法勝寺の一式飾り
・大阪/自分の家の商品をつかってしつらいをつくる→陶器祭りの人形など
・下北半島の漁港/全ての家が家をあけて自分のところのしつらいを見せる。
・三国港/屏風まつり

→これらの祭りは京都の文化圏と結びつきが強く、曳山巡行があってそれにともなう祇園祭のようなしつらいがある。

○城端の祭り
 富山県城端
 曳山祭りで、曳山は全部で六基ありその上には遊郭のミニチュアがのっている。
 町内で一つのご神体をもっており、それを個人の家に飾る。この際ただ飾るだけでなく、家の間取りまで変更する。輪番で30〜60年に一度のペースでまわってくるので、それができるような家をつくるようにしている。
伝統的な家ではないところに回ってきた場合でもできる限り理想的な間取りに近づけようとする。
観光客はほとんどいなく、そのお飾りを見て町内の人がいろいろと評価する。「屏風が合っていない」など。

・建物の演出
  個人の家を開放して、屏風、ご神像・からくり人形・緑を飾る。
   屏風は全て伸ばして立てる
   畳の目をそろえる(畳を敷きなおす)
   敷居をなくす
   建具を取り外す
   押入の柱を抜く
   間口が狭いので束をたてて床を伸ばし演出効果を高くする
   欄間のデザインがポイントとなる/ご心像にふさわしい彫り物
   →効果的なしつらいをしている
  
・最近の問題
  曳山が行われる六ヶ所のうち三ヶ所が道路拡幅をしてしまい、今までのようなしつらいができなくなってしまった。その代わりに町内で共同施設をつくり、毎年そこにお飾りをするという方式に変わってしまった。町の人の間では「気分が出ない」などの声もある。
  道路拡幅は失敗だった。
  街道の景観をつくってきたシステムが崩壊してしまった。
 
・特徴
  祭りのしつらいをイメージした建て方が街並みをつくってきたといえる
  →輪番で回ってくるので一軒だけが頑張っていてもだめ
  建築技術と町なみと祭りが組み合わさっている
  欄間の伝統技術が生かされる

○奈良井宿
長野県楢川村
・重要伝統的建造物保存地区(制定されてから17年)
  木曽街道沿い。町なみ保存のモメントとなっており、品よく残っている。
  京風の格子が増えてきたり、構造部分も昔のものではなくなってきたりと京都のデザインが接近してきている。様々なものが伝播してきている。
  →西側の影響と東側の影響が交わるところなのではないか?
 
・祭礼時
 全ての家で簾をおろし、ほぼ全ての家でしつらいをしている(全部で300件ぐらい)
 町の境界に旗をたてて、提灯をたてる
 家の中には屏風やついたてをたてる
 建具をはずし神輿を迎える
 各家でもてなしをし、全ての家で酒を一杯飲むため神輿はなかなか進まない

・ほとんどの家が修理は終わっており、新築の家でも補助をもらい修景を行っている。
  基本的に全部同じ間取りを継承。アンケート調査では、補助をもらって修景する時に祭礼を意識した改造が圧倒的多数であることが分かった。
  →ミセの間の解放とお迎えの継承性に直接役立っている
 
○木曽11宿
 
・藪原
  伝建地区にはなっておらず町も人も縮小傾向にあるが、祭り自体はどんどん盛大になってきている。しかしそれが街並みや町屋のしつらいに対する意識にはいっていない。
奈良井の場合は建物を守っていかなければいけないというのが大前提で、祭りのための共通の規範のようなものがあり、それが最優先される。
  それに対し薮原は街並みに対する意識があまりない→街並みの連続性の喪失

・妻籠
  お祭り自体寂しい。
  「デイ」というスペース/通りに向けて開放、奥行き感
  →もともと神輿を見物する行事があった模様だが、現在は行われていない
   習慣で簾はあげる
  町なみ (外観)は気にされているが、しつらいは気にされていない
  →観光客に向けた店舗の増加が原因なのではないだろうか?
 
  最近では観光客が多くなってきて、プライバシー意識が高まり閉ざされがちである。
  形態は奈良井のように奥行き感のあるものとなっている。


○これからの課題・展望
・町家研究の新視点へ
・歴史的研究(しつらい)/学術的な研究
 町家のしつらいをもっと体系的に考えていかなければいけない。祭りは曳山やおはやしなどイベント性に目が向けられているが、祭礼空間全体をとらえるためには家内のしつらいなどが重要なのではないだろうか。空間利用的な視点での調査をしてみると町家のもっと深いところに入っていけるのではないか。
近代ではどこに何を飾ったなどという記録がないが、洛中洛外図にはしつらいが描かれている。
→歴史的研究の必要性
・相互の関連性(文化的伝播)の研究
 →地域の特徴を出していくのに非常に重要
・町家におけるしつらいの研究
・町づくりに生かす/祭りを生かした町づくりに新しい視点を。町家再生としつらい。
 →祭り自身を元気づける

通りに対する演出の普遍性/第一室を見せることが町家の本質

 奈良井は建物を残していくというモメントと祭りの時にどういう風に活用していこうというベクトルが一緒でありうまくいっている。これが食い違うと街並みもがたがたになってしまう。
日野は景観の将来像がわかりやすい。しかし最近では前面にパーキングを取ったりして桟敷窓がなくなってきている。しかしそれで祭りを過ごしてみるとやはり物足りなく感じ、デザイン的にはいいか悪いかは別として桟敷窓をつくるところも多い。
 
景観の目標像というものをまずどうにかできないか。
 
建物の個々では各地域での個性をどういう風にしていくか。
京町家再生は京風町家のエッセンスを継承していくことがかなりのモメント。
→しつらいが継承の大きなヒントとなっており、継承としつらいは切っても切り離せないものなのではないだろうか。


■質疑・議論のまとめ
○岡崎甚幸
祭りがこんなにあるとは全然知らなかった。似ていて、また違うのですね。非常におもしろい。ところで城端とはどこらへんなのですか。

○増井正哉
富山県の五箇山に入っていく入り口で、もともと五箇山とか白川の繭を集めてきて近在の農村の家内製糸工業で絹織物を織っていてかなり裕福。しつらいは洗練されたもので、そのセンスにはびっくりする。

○岡崎甚幸
そこの形式というのは京都と正反対の方向みたいな感じですね。京都の飾りつけの方向はある物を利用して、高価には見えるがいかにも間に合わせ的なもの。城端はそれを形式化することがメインのような感じで全然違う方向の様な気がする。それを分けているのは何かあるのですかね。

○増井正哉
そうですね。そこは難しい問題ですが個人的に思うのは、祭りのために活用するための京町家の完成度が高く、例えば中庭の存在などいい所をついている。あまり祭りのために家をいじるという発想ではなく、ある程度完成されたものをどう自分の美意識でしつらいを行っていくかということに関心がいったのではないか。現に今やっておられる方もそうですよね。昭和42年ぐらいには町家を改造してビルにする計画が出され、エントランス部分に祭りの時、屏風をきれいに立て並べられるようなビルにしてくれと建築家に注文した人もいる。
何軒かはビルに建て替える時にそういう風にしたとおしゃっていて、これも伝統的な継承に対するモメントだと思う。
 あなどってそういうことを考えないビルもどんどん建ってしまったが、祇園祭の時に屏風を立てて通りからきれいに見えるようにしてほしいという施主さんの要求は当時として珍しかったと思う。しかしそれが都心街区に対する新しい建築のスタイルというものを考えていくという方には当時は行かなかった。
 結果的には何てことないビルの奥のスペースに屏風が並ぶように天井高を調整して、効果はあったが町家街区にふさわしい建物をという話まではいかなかった。
 この他にも4階か5階建てで屏風飾りができるビルをつくったのがある。それぐらい鉾町で屏風飾りをしたいという気持ちがかなりあったらしい。

○岡崎甚幸
城端のご神体は七福神ですか。

○増井正哉
六福神です。六福神が各町内に一体ずつあって、本来はこれを家の中でお守りするのが目的だった。いつからかは分からないが、ある時から飾って見せるというものになった。一番古い記録で昭和の初めぐらい。意外と年代的には新しく、特に輪番を町内で作ってやるというのは新しいのではないかと思う。

○岡崎甚幸
普段はどこに置いているのですか。

○増井正哉
普段は曳山倉に納めてあります。それを祭りになったら出してきます。

○大谷孝彦
・城端は押入れを取ってしまい家を改造するなどそこまでみんなが考えていてすごい。しかし城端は都市計画によって道路拡幅したことがだめにしたと思う。
 また妻籠は伝建地区になって観光客が増えてだめになったとよく聞くが、具体的にどうだめになったか分かりました。
 
・もっと中に繋がったものでないと祭りがちゃんと残らないし、だめになるのではないか。
 京都の場合、昭和の初めの頃格子が流行り、屏風飾りの仕方・見え方がずいぶん変わったと思うが、その時にお祭りに対する意見も変わることへの意識はなかったのだろうか。

○増井正哉
・やはり格子ができたのは歴史的変化で、通りと家の形が根本的に変わった。
 腰壁と縦格子のスタイル的には変えていないらしい。
特に裏前栽を見せるような感じにするというのは変えていないらしい。
なのでただ、ばったり床机を外すということは事務所化と並行している。ある種の割り切りみたいなものがあったのではないか。祭りよりも優先したのではないか。

明治の末年が屏風飾りのピークで、全部開け放ちいろんな屏風飾りや当時の最新鋭のレコードをかけたりして大賑わいだった。しかし昭和の初年ぐらいには経済的に不況で沈滞化した。
その後満州事変のあと、6、7年から12、13年の間に格子・腰壁が出始めたため、そのことが関係しているかもしれない。
大津でも同じようなことが起こった。

・1989年頃から屏風祭りの調査を始めたが、そのあたりからバブルの時代で一回上向いて
また増えた。94、95年ぐらいでどんどん数が増えて屏風祭りをすることによって顧客が増えたり売り上げが上がったという例もある。

しかし二年前にまた行ってみた時にものすごく減っていた。かなり歯抜けの状態で有数の屏風コレクターの家がだめになってしまっている。この数年間の不況で持ちこたえきれなくなり祭りがすごく寂しくなってしまい、昭和の初めの状態のようになってしまった。

○吉田秀雄
・東北の祭りの場合、祭りをする家は代々続いているのですか。

○増井正哉
他の町よりは移動は少ないみたいです。ここは漁師の町だが京都に行って祇園祭、屏風祭りを見たことある人がすごく多い。意外と昔からしている模様。

○吉田秀雄
祭りがあるから若い人が残っているのでしょうか。

○増井正哉
・若い人は残っていません。祭りの時だけ帰ってきます。
 しかしそれでいいのではないか。全く帰るモメントがない町と帰るきっかけがある町では断然差がついてくる。しかもしつらいなどを手伝うので、自分の家を年一回眺めてみるきっかけができる。自分の家の特徴が分かるのでそれに対する愛着がわいたり、「こんなにきれいだったのか」ということになる。
 これは伝統的な祭りがある町のメリット。

・大阪の平野濠で景観ガイドラインを作りワークショップを行った。街づくりに対する取り組みの盛んなところ。
その時に地元の方から「祭り提灯が似合う町なみ」というのをコンセプトにデザインを考えていきたいと言われた。
平野にはにぎやかなだんじり祭りがある。歴史的には岸和田よりも古い。乱暴。
「祭り提灯が似合う街並み」ということからキーワードを考えていった。このように基本目標を地元が言ってくるというのは他にない。提灯作りのワークショップも行った/提灯をかけるためには軒・庇があった方がよいと分かる。
 街づくりのモメントとしてはすごく分かりやすい。

・ 高知県の絵師が出た町で町おこしとして祭りを始める。絵金祭りといって通りに作品を並べてろうそくを灯し町中を不気味な状態にする。町なみとはあまり関係ないが。

○大谷孝彦
祭りと町なみは関係深い。
 江戸と関西はいろんな意味で違う。祭りでも神田祭は派手だが、表現・しつらいなどで何か感じていることはあるのでしょうか。

○増井正哉 
・これはぼやぼやっと思っていた。空間利用の面から見ると違うのではないかと思って関心はあった。しかし関心が出てきたのは下北半島に祇園祭があるということで、関西の京都風祇園祭が交通路にのっていったのではないかという仮説になっている。
 屏風祭りは東海道沿いにずっとある。屏風飾りというのは全国普遍的に通りに対してハレの日に立てるというものだったようだ。

・基本的に大きな違いは曳山祭りだということ。曳山祭りは対馬あたりまでしかない。そこからは都市祭礼は神輿系の祭りになる。
 また、祭りの時に通りを開放するのは関東の方では意外と少ない。しかし北陸の方に行くとある。これは関西から伝わっているのではないだろうか。
 神輿の巡行はもともと見物するもではない。神様が移動していくものなので恐れ多くて拝むものである。それに対して曳山はパレード。そうすると通り全体を演出しようとする。プロセッションのスタイルが違う。
 奈良井の場合はお神輿が通る時に正座をしてお迎えをする。基本的に曳山や屋台は見るもの。
 見せるために巡行する。そういうものの違いはあるようだ。
 諏訪大社の祭りにものすごく影響を受けている。

○加藤
諏訪大社というのは日本全国にたくさんあるが、何かおもしろいことがあるのではないか。
 
○増井正哉
 御柱祭りは柱のお迎えをしているが家の中のしつらいはされていないし、あまり都市的なものではない。

○吉田秀雄
 東北にねぶた祭りがあるが、あれは曳山系だがそれに対して街中に飾りはない。その辺はどうなのでしょう。

○増井正哉
 都市空間として演出しているかというとそうでもない。空間に対する意識というのが明らかに関西の曳山系の祭りと差がある。

○吉田秀雄
 弘前はけっこう街並みがあって、もう少し演出してもよさそうだが、青森には独特な街並みがない。

○増井正哉
 下北もねぶたの影響があって屋台の内側に火が入るものがある。

○加藤
 座敷飾りなどのしつらいはパターン化していく。パターン化してしまうともともとの意味というのがあるのかどうかが分かりにくくなる。このことを考えていくとよいのではないか。

○増井正哉
 今は形だけしか調べていない。通りに対したしつらいで民俗化した日常的なしつらいとか年中行事的なしつらいとかを深めていく必要がある。

○岡崎甚幸
 奉るものに関して城端では七福神を奉るが、京都の方はよく分からない。
何か七福神に変わるものがひとつあるのか。それとも持っている物を全部並べているのかでは違いがある。
また町家で実際に商売をしていた頃、祭りの時に商品は全部片付けてしまうのでしょうか。

○増井正哉
 現在でも本格的にするお店は片付けている。ただ現在では商売としつらいがセットになっている場合が多いのでついでに販売促進のようなことをするところもある。
 そんなに区別するものではない。ほとんどの家では一階を片付けている。

○岡崎甚幸
・最近の京都は外国人の観光に人気がないという話を聞いた。地方の小京都の方に人が多いらしい。祇園祭の原理をうまく用いてもう少し日常的なイベントをするとか、今日の話はヒントになるのではないか。
 
・町家の議論はいろいろあるが、祭りは表現の中心みたいなものなので京都らしさを示す重大なキーポイントになるのではないか。

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